Sunday, March 20, 2011
LA90
2時間前に一瞬僕的修士設計の神様が降臨したように見えたものの、その後意気揚々と来たクラスメートの話に付き合わされた結果、、僕のThesisは何なんだと思う所まで気分が急降下。まだまだメンタル弱かった。打たれたというか、あんなに意味の分かんない事をこんなにも興味のない僕に1時間も熱弁出来る彼の鋼の心臓を尊敬。。
僕のThesis:修士設計は(The Neo-function of the Oblique)で進んでます。
端的に何がやりたいのかというとコンビネーション、建物の秩序を如何にかえるのか。いくつか問題点は既に挙げていているものの表面的な事ばかりになっていて、もっと内面的な事を考えないとなと思うけど考える事は”No〜,,,Kazu〜, too generic”と言われ続けてます。もともと既に建築的に提唱されただけはあって、自分色にする事が難しく、他の人が建築とは関係のない所から始めて自分色で進めて行くのを羨ましく思ってるのがイヤ。友達のヤツは自由で面白そうだな〜、なんて思う始末。
忙しくなって来ているものの少し離れて考えたい。
ちょっと最近感じるのは些かSCIARC病だなと…ダイナミックな形態があふれる中ではっきり好き嫌い、良いモノを見分けは出来るものの、、何か日本でたまに見たような空間の質?を見る事はあまりない。
一概に言えないけど、昔から日本と西洋は美学的に少し違いがあって、それが質の違いを作っているのかなと。というのは日本の建築は空間と庭との連続性とか、簡素でモノを建物の押し入れや収納にしまい部屋にはなるべくモノを出さないイメージ。西洋は全体性を良しとして家具を並べ装飾を建物に加えてるイメージ。後は日本は”陰影礼賛”のように影に美を感じ、西洋はローズウィンドーのような光に美を感じるとかとか。。結構普通の事なんだけども、そういう所が色んな所に影響しているんだろうなと。。。
とかとかとか、ちょっと思ったことをサクッと書きなぐってみました。。
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